HISTORY

ヒストリー

2012年   アジア初のプロコンチネンタルチーム「Champion System Pro Cycling Team」に機材供給を行う。
ロードバイクフレームのカラーオーダーサービス「FUJI REMIX」を開始。
Indian motorcycleとのコラボモデル、SUNDANCEを発表。
2011年   2011年 グランツール向けに開発したカーボンハイエンドモデル ALTAMIRAを発売開始。
GEOX TMCにバイクを供給。メジャーレースに万全の布陣で挑む。
ツール・ド・フランスと並ぶ三大グランツールの一つ、第66回 ブエルタ・ア・エスパーニャにて、
FUJIのAltamiraを駆るスペイン人ライダーファン・ホセ・コーボが個人総合賞・コンビネーション賞を受賞。
GEOX TMCチームもチーム時間賞を受賞した。
2010年   2010年 カーボンハイエンドバイク 新型SSTを発表。 同モデルをFOOT-ON SERVETTOに供給。
ブエルタ ア エスパーニャでSSTと双璧をなすALTAMIRAを三年の開発期間を終え、実戦投入。
サイモン・テーラーとのコラボモデル、FUJI LOW PROを発表。
2009年   2009年 FUJI-SERVETTOチームにバイクを供給。グランツールへの挑戦が始まる。
2008年   OBEYとのコラボモデル OBEY TRACKを発表。
2005年   今日、FUJIは、品質、パフォーマンスと価値が認められ、世界36ヶ国で販売されている。製品を通して、最高の自転車を作るという情熱を基にした数多の技術的革新を体感して頂けることだろう。
2004年   FUJI初のフルカーボンフレームを駆るJudith Arndt(ドイツ、女性)がイタリア、ヴェローナにてワールドチャンピオンを獲得する。
2003年   Diamondシリーズがフォーバーリンケージ・デュアルサスペンション(ドイツメディアが市場に存在するサスペンション形式で、世界最高と評価する方式)を採用する。Fuji Roubaixの女性モデルがBicycling Magazine誌の編集者賞を受賞
2001年   FUJIは経営方針を変更し、量販店から自転車専門販売店へと販売チャンネルをシフト。ヨーロッパのマーケティング・販売会社と契約することにより、16カ国での取り扱いへ拡大する。
1999年   Fuji Team Issueを駆るThe Mercury Professional Cycling Teamがレースにおいて70以上の勝利を獲得。 アメリカで最速のチームとなり、四年連続でVeloNews誌の選ぶteam of the year(今年度最高チーム)に選ばれる。
1987年   この年FUJIはオリンピックのゴールドメダリストであるマーク・ゴルスキーをFUJIのレーシングチームに迎え入れ、さまざまなレースで幾度と無く勝利を勝ち取る。当時、宇宙工学の分野で新素材として注目されていたチタンで自転車のフレームを世に出した最初のメーカーの一つでもあり、 同時にオーバーサイズタイヤ(29インチ)で、高性能シティーサイクルの開発にも早々と着手していた。
1980年 11月 米誌「コンシューマー・レポート」の自転車テストで当社のロードレーサー「S12S]が第1位となる
1977年 5月 「第1回フジサイクル・グランプリ・ロードレース大会」を開催
1974年   FUJIは、今や世界中から絶大なる支持を受けているShimano Dura Aceを最初に装着したメーカーの一つであった。 1974年、1976年そして1980年には富士は、全米コンシューマーレポートランキングで見事1位を獲得。
1973年 6月 「富士カルダン」発売
1972年   FUJI ブランド輸出開始
1971年 3月 ニューヨークで開催のインターナショナル・バイシクルショーにスポーツ車出品(フジ・ニューエスト・ファイネスト等)
1968年 4月 「富士フラッシャーシリーズ」「富士ジョッキーシリーズ」発売
1961年 5月 「富士ダンディ」発売。
1952年 4月 岡崎勝男社長、外務大臣に就任
1951年 3月 第1回アジア競技大会(ニューデリー開催)に「冨士レーサー」を使用一千メートルタイムレースで杉原選手優勝。株式上場。店頭売買開始
8月 商号を日米富士自転車株式会社と改称
通販部を分離独立、旧称号「株式会社日米商店」を用いる
冨士フェザー号で富士登山に成功(福岡県飯塚市樽見岩雄氏)
12月 岡崎勝男社長、国務大臣に就任
競輪用タンデムを発売
1948年 10月 第2回T・Tレース(東京~大阪)に出場
1935年 9月 「女性と冨士自転車」広告写真募集撮影大会各地で盛大に開催
1928年 6月 従来の商標「ラーヂ」を「富士」に改称
1906年 1月 店主渡英、ラーヂ自転車の直輸入契約締結
6月 ラーヂ自転車1,500台の顧客向け懸賞売出しを断行
第2回代理店会議開催(江の島・恵比寿屋にて)
九州日日新聞主催「九州一周千マイルレース」でスターリング乗車の熊本・吉井選手優勝
12月 店舗を銀座二丁目一番地に移転、倉庫を三十間堀一丁目に設置
1904年 3月 本店を銀座三丁目九番地(現松屋の角)に移転
スターリング車の特約店拡大に努力
11月 東京バイシクル秋季大会でスターリング乗車の久保田選手三回連続優勝
1903年   販売の主力を自転車とカメラにおく
自転車の取扱品目を増加(ウルフアメリカン、スタンホード、スターリング)
スターリング車の特約店を各地に設置
1899年 11月 創業者岡崎久次郎、日米商店と号し京橋区竹河岸にて米国製懐中電灯の輸入販売を始める。 取扱品目は探検電灯、医療電灯、机上電灯、手提用・自転車用電灯、盗難予報機等、売捌所を京橋区南金六町七宇都宮回漕店内および横浜市相生町井桁屋に設置
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